囁きも、ざわめきも
H30×W32×D10 cm
photo Ujin Matsuo
大人気作曲家ラフマニノフ(1873〜1943)は、生前時代遅れという烙印を押されていたし、かなり長い間その評価が尾を引いていた。
活躍したのは音楽史の転換期。「時代的必然」を根拠に理論武装した新様式が次々生まれた。ラフマニノフはそういった動向に無関心だった訳ではなかったが、結果的に自分が築いてきた音楽を守り通した。作品は常に一般的には高い人気を誇っていた。だからこそ攻撃対象にもなりやすく、お堅い方々からは何となく2流扱いを受けることもあった。この傾向は今日でも一部書籍等で時たま見られる。
生活も時勢にも翻弄された。第一次大戦後は社会主義者の暴動を避け祖国ロシアを去り、アメリカに移住せざるを得なかった。現地では当時最高のピアニストとして歓迎され、演奏活動に忙殺された。故に人生の後半は作曲もするピアニストという評価に落ち着いてしまい、これも彼の死後の扱いに影を落とした。
作曲活動が停滞したのは時間的制約だけが原因ではなかった。結局のところ自らを育んだ土地と時代を愛していた。「もう何年もライ麦の囁きも白樺のざわめきを聞いていない」と作曲から離れていた彼は、人生の最後に改めて自身の出自と向き合い、望郷の念を素直に表現することで、数曲だけだが傑作を残すことが出来た。彼はアメリカで69歳で死ぬ。
ラフマニノフは2mに迫る大男だった。頑強なフィジカルに根差したダイナミックなリズム感やスケールの大きな旋律が作品の魅力だ。ごく親しい者の前ではよく笑ったが、元来繊細な気質で寡黙だった彼は、何より音楽で朗々と語る。